お作法とは??

参拝の方法
何事も、心が素直に表された形は自然で、また美しくもあり、私たちの共感を呼び起こすものです。 神社に参拝する場合、どうしても形にとらわれてしまい、終始形式的になりがちです。参拝作法は、永い間の変遷を経て現在、「二拝二拍手一拝」の作法がその基本形となっています。
そこに、どう心を込めるか、また込めたほうがよいのかは、参拝される皆さんの心の持ち様ではないでしょうか。
それがためには、具体的な形におけるそれぞれの作法の意味をわかって戴くことが重要です。もちろん、祈りの心は個々に違っていて当然ですが、参拝とそれにかかわる作法について、その「形」の前提にある「心」をわかって戴ければ幸いです。
私たちの祖先は、神社にお参りをし、あるいは「お参り」を奉仕して、御神威をいただくためには、先ず自ら「心身の清浄」につとめることを、必須の条件と考えていました。

礼拝の方法
姿勢を正して、礼拝をお願いします。
まず、神前に進み姿勢をただします。
背中を平らにし、腰を90度に折り、拝をします。この時の拝は2回行います。
胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し下にずらします。
肩幅程度に両手を開き、2回打ちます。
指先を揃えます。最後にもう1回拝をします。

玉串拝礼の作法
右手で榊の元(根本)の方を上から、左手で先の方を下から支え胸の高さに、やや左高に、少し肘を張って持ちます。
玉串の先を時計回りに90度回します。
左手を下げて元を持ち、祈念をこめます。
右手を放して、玉串をさらに時計回りに回し、玉串の中程を下から支えます。

神社でのご祈願について
全身金色の招き猫の金運ご祈願を行っています。
毎月最終日曜日午前10時から11時30分まで
全身金色の招き猫の金運ご祈願を行っています。
神社における普通の参拝は、神社の前に進み、お賽銭を上げて拝礼をすればよいのですが、特別なご祈願や、社殿に上がって参拝する場合(昇殿参拝)には、神社に申込みをする必要があります。 神社に着きましたら、まず社務所(神社の事務所)または授与所(お神札やお守りを授与する所)に初穂料を差し出し、所定の用紙などに住所、氏名、ご祈願の内容(願い事)を書いて参拝の申込みをしましょう。申込み受付を済ませると、神職または巫女が社殿にご案内します。ほどなくして、ご祈願のお祭りが始まります。
元来、神社では国家の安全や風雨順時、五穀豊穣など、公共性の強い祈願を行っていました。一方現在のような個人のために行う個人祈願は、平安中期頃の陰陽師による陰陽祓の活動によって始められたと考えられます。これが神道信仰のなかに入ってくるのは平安後期頃のことで、御祈祷師の活動によるとされています。それ以来、個人祈願は歴史的に様々な変遷を見せながら、現在のように神社の神職によるご祈願が一般的な形になっています。その内容は合格、安産、病気平癒、商売繁盛、寿命長遠、子孫繁栄など多種多様です。

玉串の意味について
玉串は神前にお供えするものとして、米・酒・魚・野菜・果物・塩・水等の神饌と同様の意味があると考えられています。しかし、神饌と異なる点は、玉串拝礼という形で自らの気持ちをこめて供え、お参りをするということです。勿論、神饌も注意して選び、心をこめてお供えをしますが、玉串は祭典の中で捧げて拝礼することから、格別な意味を有するものであることが分かります。 『神社祭式同行事作法解説』(神社本庁編)では玉串を捧げることを「玉串は神に敬意を表し、且つ神威を受けるために祈念をこめて捧げるものである」と説明されています。
玉串の由来は、神籬とも関連して『古事記』の天の岩戸隠れの神話に求められるものといわれています。すなわち天照大御神の岩戸隠れの際に、神々がおこなった祀りでは真榊に玉や鏡などをかけて、天照大御神の出御を仰いだことが記されています。
その語源には幾つかの説があり、本居宣長は、その名称の由来を神前に手向けるため「手向串」とし、供物的な意味を有するものと解しています。また平田篤胤は、本来は木竹(串)に玉を着けたものであったために「玉串」と称したと述べています。このほか、六人部是香は真榊が神霊の宿ります料として、「霊串」の意があるなどとしています。
こうしたことから玉串は神籬と同様に神霊を迎える依代であり、また玉串を捧げて祈る人の気持ちがこめられることにより、祀られる神と祀る人との霊性を合わせる仲立ちとしての役割を果たす供物であるということができるのではないでしょうか。

お賽銭について
お賽銭の意味や起源には諸説があります。現在では神社にお参りすると、お賽銭箱に金銭でお供えしますが、このように金銭を供えることが一般的となったのは、そう古いことではありません。 もともと、御神前には海や山の幸が供えられました。その中でも特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。
私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれ暮らし、秋になるとお米の稔りに感謝をして刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき、米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし、貨幣の普及とともに米の代わりに、金銭も供えるようになりました。
そもそも米は、天照大御神がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。現在でも米をお供えする方もいますが、金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちには変わりはありません。
お賽銭箱にお金を投げ入れるところをよく見かけますが、お供物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるともいわれています。しかし、自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な動作を心掛けたいものです。 、

参拝の際に鳴らす鈴について
多くの神社には、拝殿の中央、ちょうど賽銭箱の真上あたりに、銅や真鍮製の大きな鈴が吊られており、この鈴に添えて麻縄や、紅白・五色の布などを垂らして、参拝者はこれを振り動かして鈴を鳴らし、お参りをします。 社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。
また、巫女が神楽舞を舞う際に用いる神楽鈴も、社頭の鈴と同様の意味によるものです。古くは巫女が神楽を舞うことにより神憑りして人々に神の意思を伝えており、このために必要なものとされていました。
今日では巫女による神楽舞が優雅な形に定められ、神憑りというより神慮を慰めるものとしての意味合いが強くなり、神楽舞の後に参拝者に対しておこなわれる鈴振り行事は、祓い清めの意味を有するものということができます。このほか、御守などの授与品に鈴が用いられるのは、魔除けや厄除け開運ためともいわれています。

お神札、お守りについて
神社に参拝すると、お神札やお守りを受けることがあるでしょう。 お神札には、伊勢の神宮のお神札である「神宮大麻」や各神社で発行されるお神札があります。「神宮大麻」は「お伊勢さん」「お祓いさん」などとも呼ばれ、「天照皇大神宮」の神号に神璽(神宮のおしるし)が押されたもので、氏神さまを通じて各家庭に頒布されます。
お神札とお守りはどちらも神さまのお力を戴くものですが、お神札は自分の家の神棚でお祀りして家をお守り戴くもの、お守りは常に身に付けて神さまのご加護を戴くものです。一年間お祀りしたお神札は年末に神社に納め、お焚き上げをしてもらいましょう。そして新しいお神札を受けます。お守りも同様ですが、願いが叶うまで身につけても差しつかえありません。
お神札やお守りをたくさんもっていると心配してしまうのが、神さま同士がケンカしてしまうのでは、ということ。でも、大丈夫です。八百万神という言葉があるように、日本には多くの神さまがいらっしゃいます。神さまは、それぞれの御神徳をもって、協力して私たちを守ってくださるのです。

初穂料」など、お供えするときの表書き方について
日本は古来、稲作をはじめ農業を中心に国づくりを進めてきました。ですから、みのりの秋には「ありがとうございました」という感謝の気持ちを込めて、その年に初めて収穫された稲穂などの穀物を神さまにお供えします。これを初穂といいます。野菜や果物、魚などの初物も同様です。神社にお供えするお初穂という言葉は、ここに由来します。 いまでは、季節にかかわらず、お初穂としてお金を上げることが多くなりました。その場合、包みの表書きには「初穂料」のほかに「御神前」「御供」「玉串料」「御榊料」等の書き方があります。「御神前」「御供」という表書きは説明するまでもありませんが、「玉串料」「御榊料」とは玉串や榊の代わりに、それぞれお供えする料であることを意味しています。
このほか「上」や「奉献」「奉納」と書かれる場合もあります。「上」はよく神様や目上の方に対する御礼の際の表書きに用いられる語です。
「上」はお神札・お守などの授与品や撤下神饌を入れる袋の表書きにも用いられていますが、この場合、撤下品は神前にお供えする際、「上」と記すのであって「上」とはあくまでもお供えをする神様に対して用いられている語ということができます。一方、お神札やお守が御神霊の御加護を戴く尊貴なものなので丁寧さを表現するために「上」を表書きにしていると考えることもできます。
このほか、神式の葬儀のお供えに関しては「御霊前」や「玉串料」「御榊料」といった表書きが用いられます。市販の不祝儀袋には「御霊前」とあっても、蓮の花の文様が付いている場合がありますが、これは仏式用のものなので注意して下さい。
表書きには、神事に用いられる以外にも冠婚葬祭を通じてさまざまな書き方があり、自らの気持ちを伝える意味でも大切なものということができます。

おみくじについて
神社に参拝した際に「おみくじ」を引き、運勢などを占われた方も多いかと思います。 一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には吉や凶、または大吉・中吉・小吉・末吉という吉凶判断、金運や恋愛、失せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。
そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れともいえます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事や、神社の祭事に奉仕する頭屋などの神役を選ぶ際に御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つといえます。
「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。

神道での唱えことばについて
仏教で唱える「南無」とは、梵語(サンスクリット)の音訳で、「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依して救いを求める唱えことばです。 これに対して神道では特別な唱え言はありませんが、神社に参拝するときや神棚を拝むときには、「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)と唱える場合もあります。神道では自らの祓い清めが信仰的にも神様に近づくための大切なおこないとなっているからです。
このほか、古くは占いに関連して用いられ、その後、神様を拝むときに用いられるようにもなった「吐普加美依身多女」という唱え言があります。この言葉の本来の意味ははっきりしていませんが、「遠神能看可給」(遠つ御祖の神、御照覧ましませ)、あるいは「遠神笑美給」(遠つ御祖の神、笑み給え)といった意味であるともいわれています。もともと、占いに用いられた言葉なので、「神様の御心があきらかになりますように」という意味であったのではないかと思われます。
我が国には、古来言葉には霊力が宿り、口に出すことによって、その力が発揮されるという言霊の信仰がありました。神社にお参りする際に具体的な願い事を声に出して唱えるのも、こうした信仰に基づくものです。
左儀長の神事
2018年1月28日午前10時から13時まで
場所:金神社拝殿東広場

神事終了後、ボーイスカウトと共同で、ぜんざい、雑煮、きなこ餅、あんこ餅の接待があります。ただし、食材がなくなり次第終了します。
餅つき体験ができますので、地域の子供を参加して、にぎやかになりました。
奉賛会総会が行われます
毎年5月上旬奉賛会の総会が行われます
場所:小金公会堂にて

2018年5月6日奉賛会総会を実施しました。
自治会役員、町内会の町内会長、総代の皆さんに出席を賜り、
昨年度の収支報告、今年度の行事予定、予算案の協議を行っています。
主な収入は、奉賛会の会員様の会費で運営しています。
5月の町内回覧に、奉賛会会員募集の案内を回覧しますので、
皆さんの参加をお願いします。