皆さん日本神話は皆さん、知っていますか?
稲羽の白兎
大国主命おおくにぬしのみことが兄弟の神々と稲羽いなばの国に出かけた時のことです。
気多けたの岬までくると、そこは赤裸になった兎が泣いていました。
そこで兄弟の神々は、海水を浴び、風にあたればすぐ直ると教えました。
兎は言われた通りにすると、もうたまりません。潮水が乾くにつれ傷がヒリヒリと痛んできました。
そこに遅れて、大国主命が大きな荷物を背負ってやってきました。
命は兎を見ると理由を尋ねました。
兎は淤岐島に住み、長い間この国に渡りたいと思っていました。
ある日、ワニザメが泳いでいる姿を見て、ワニザメの背中を跳んで陸に渡ろうと考えました。
そこで仲間の数比べをしようとワニザメをだまし、仲間を集めさせました。
そして島から陸まで一列に並べさすと、兎は背中を跳びながらその数をかぞえ始めました。
もう一息のところで、だまされたことを知ったワニザメは大きな口を開いて兎にかみつきました。
そのため兎は皮をはがれて、赤裸になってしまいました。
理由を聞いた命は、やさしく兎に教えました。
いわれた通りに兎は川の水で身体を洗い、ガマの穂を集めてその上をころげ回りました。
すると不思議なことに、もとの白い毛が生えてきました。
その後、人々はこの兎のことを稲羽の白兎と呼ぶようになりました。
神話 稲羽の白兎について
稲羽の白兎は「古事記」の中でも代表的な話で、「因幡国風土記」にも収録されています。
単なる物語としてではなく、傷病に対する療法について記されているともいわれています。
大国主神は、須佐之男命の娘の須勢理毘売と結ばれ、その後、少名毘古那神と共に国造りします。
この一連の話は、身近な動物も活躍し、私達の祖先がどのような世界観、人生観を抱いていたのかを知る手がかりとなります。
神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。やがて、まつりの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです。このように、日本列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。
神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれます。さらに、国家や郷土のために尽くした偉人や、子孫の行く末を見守る祖先の御霊も、神として祀られました。奈良時代にできた『古事記』『日本書紀』には、多くの神々の系譜や物語が収められています。
神道の信仰が形となったものが祭りです。祭りは、稲作を中心に暮らしを営んできた日本の姿を反映し、春には豊作を、夏には風雨の害が少ないことを祈り、秋には収穫を感謝するものなどがあり、地域をあげて行われます。祭りの日は、神社での神事に加えて神輿や山車が繰り出し、たくさんの人で賑わいます。神道の祭りを行うのは、神社だけではありません。皇室では、天皇陛下が国家・国民の安寧と世界の平和を祈るお祭りを行われています。また、家庭では、神棚の前で家の安全、家族の無事を祈ります。これも小さな祭りといえます。
神道のもつ理念には、古代から培われてきた日本人の叡智や価値観が生きています。それは、鎮守の森に代表される自然を守り、自然と人間とがともに生きてゆくこと、祭りを通じて地域社会の和を保ち、一体感を高めてゆくこと、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには皇室をいただく日本という国の限りない発展を祈ることなどです。このような理念が、神々への信仰と一体となって神道が形づくられています。また、神道には、神々をまつる環境として、清浄を尊ぶという特徴があります。神社は常に清らかさが保たれ、祭りに参加する人たちは必ず心身を清めます。これら神道の理念や特徴は、日本人の生き方に深く影響しているといえるでしょう。
神道は、日本の民族宗教といわれ、日本人の暮らしにとけ込んでいます。たとえば、初詣や厄除、初宮参りや七五三、結婚式や地鎮祭など、神道の行事は日常生活のいたるところに見かけることができます。しかし、一般の日本人は、あまりにも身近なせいか、神道について知らないことが多いのも事実でしょう。
このウェブサイトが、皆さんを神道の世界へ誘う案内役となれれば幸いです。